2013/09/11

隣の芝は青かったという告白。

 「なにやってんの」とか「いまどこにいるの」とか、よくそんな質問をされるんだけど、体調崩して実家で寝てる。季節の変わり目って苦手なんだけど、久しぶりのナチュラルな季節の変わり目を過ごして、リバウンドの様な勢いで押し寄せる苦手意識の洪水に色々持っていかれた気がしてる。急激な季節の変化のほうが、有無を言わさず適応しようとする生存本能的なのが掻き立てられて馴染みやすいんだけど、移ろいゆく断続的な季節の変化ってのは、過ぎゆく季節に残した未練だとか後悔だとかが水溜りに突っ込んだ自転車が乾いたアスファルトに引く轍みたいに尾を引いて、肉体的な変化に精神的な変化がついていかなくて大変だったりする。

 大学を卒業して、親不孝にも、就職せずにフリーターになったのが一年半くらい前の話。コネもカネも意気地もない人間が、バックパック一個に入りきらないモノを全部捨てて、海外に飛んでった。新卒カードを驚くほどあっさり捨てて、今思えば自分でも「wwwwwww」って思うこともあるけど、不思議と後悔はしてない。というか、後悔しないように過ごしてきたのもあるし、ある瞬間に突然後悔しないようになったと言ったほうがいいのかもしれない。
 実は、僕にとって隣の芝はずっと青くて、同期が力強く社会で飛翔しようとするのを眺めていて、泥臭いけど格好いいやんって思ったり、煩わしいと思っていた人間関係を日本に残して一人で遠くの世界で生きていると、華金に再会を果たして結束を深めてる学生時代の友人達がアップする完璧に脳内再生できてしまう写真の数々を、ブラウザの向こう側でTシャツの襟口を思いっきり噛み締めて、イーッ!羨ましいッ!あゝ南半球は冬だ!寒いよー!って眺めて、俺はなにやってんだろうかーって嘆いたりしてた。

 オーストラリアに着いたばっかのときは、メルボルンがどこにあって、ブリスベンがどこにあって、そもそも今自分がいるシドニーって地図上のどこらにあるのっていうような状態だったのに、そこから一年間ずっと犬のシッコのように日銭を稼いで凌ぎ移動を続け、気付けば渡り鳥のように色んな場所を訪れてた。
 入国して三日目、二段ベッドの下に寝てたXL白人(♀)が酔っ払ったイタリア訛りの英語を喋るオトコとセックスを始めて、ギシギシ揺れる悪魔の揺り篭に揺られながら、わざとらしく咳払いをして起きてるアピールをして旅の洗礼を受けたシドニーの格安宿での夜。夕暮れのサーキュラーキーを歩いていると、オペラハウスを眺めながらストリートミュージシャンが弾き語る、ネイティブの "Stand By Me" に遠くに来たことを実感してセンチメンタルになった日もあった。
 アウトバックという愛称で親しまれるけど、普通のド田舎の町で手当たり次第に「仕事下さい!」と電話を掛け続けること二週間。ようやく貰った仕事は地平線の向こうまで広がるレタス畑での農作業で、毎朝四時半に迎えに来るハイエースにオージー達と寿司詰めになりながら現場へ向かう光景はさながら現代の蟹工船だった。それでも、道中の僕らを迎える朝焼けは毎日変わらず美しく、地平線の彼方にポッと微かに灯った火種のようなオレンジが、真っ暗な夜空を押し退けて空を鮮やかなネイビーのレイヤーに染め上げていく様子を見て泣きそうになったり。初めての「豪ドル給与」が口座に振り込まれた日、神様!ビールが美味いッス!とか言って、ド田舎のクソ広い満天の星空の下で喜びに浸ったり。
 バックパックに防寒着一式を入れたまま預け荷物に出し、飛行機の遅延で夜が深まると共に、昼間とは打って変わって空港内の気温が下がり始めて絶望した、真冬のブリスベン空港で黄色人種が何故か常夏ファッションで機材到着待チ事件。凍えた体を引き摺りながら深夜のケアンズ空港に到着して、空港の自動ドアが開いた瞬間に飛び込んできた南国の噎せ返るような熱帯夜の湿った空気が妙に嬉しかったのを鮮明に覚えてたりする。
 世界遺産グレートバリアリーフの真ん中に浮かぶ、自動車も走ってない、インターネットも通ってない、小さな小さなリゾートアイランドで働き始めて、毎日フェリー通勤してた常夏のケアンズでの日々。Foursquareで世界遺産の島のメイヤーシップを奪取した頃、「社内ヘッドハンティング」と僕は未だに信じてる他部署からの引き抜きの話を持ち掛けられ、その小さな小さな世界遺産の島に住み込みで仕事をすることになる。夕刻の最終フェリーで観光客が本土に帰ったあと、絶海の孤島に静けさが霜の様に降ってくる。「鳴き砂」のビーチを歩き、ビーチパラソルの下に寝そべり、旅の途中にブリスベンの古本屋で買ったアンソニー・キーディスの著書『Scar Tissue』を広げる。夜の帳が下りて、今日の仕事を終えた同僚たちがビールを片手にビーチへやって来る。ふたご座流星群の下で、ビーチパーティーをおっ始めるらしい。グレートバリアリーフ上で過ごした半年間は、きっともう二度とやって来ないだろうと確信する程ドラマティックな日々だった。
 二泊三日で一五〇〇キロ以上を走破した、エアーズロック貧乏ツアーはワイルドで、吹き曝しの砂漠の上で、軍隊仕様みたいな寝袋に包まった上から更に星空に抱かれて眠ったりした。そんな夜中にふと目が覚めるといきなり星空どーん!って眼前に飛び込んで来るせいで腹抱えて笑った話を他の参加者にしたら、皆同じ感動を覚えてたんだとか。
 人生初のスカイダイビングをバイロンベイで経験し、よく考えると上空14,000ftから飛び降りて今生きてることが不思議に思えてしまう。サーフィンデビュー戦はゴールドコーストで飾り、二度目で挑戦した聖地「バイロンベイ」では大波に攫われ、左腕のミサンガが身代わりとなって海の藻屑になってくれた。それぞれの経験は、その道の人なら垂涎モノなのかもしれないと思うと、ミス・ユニヴァースで童貞喪失した人の気持ちがとてもよくわかるような気がした。

 書ききれない、言葉にできない、思い出しきれない、書いたら炎上してしまうかもしれない。そんな興奮がトクトクと溢れる日々を生きる中で、僕は確かに隣の芝が青いと思い続けて来た。だからフェイスブックに続々とアップされる幸せそうな写真に、意味もなくコメントを残したり、然りげ無く「いいね!」を押して、俺のこと忘れないで下さいアピールもした。けど、じっくりと観察してみると、自分の足元に広がる芝も同じくらい青かったのだ。日本に帰って来て、なんとなく社会の歯車に戻っていく中で、彩度が足りないと思っていたあの頃の思い出は輝きを増し、隣の芝に引っ越した僕にその青さを魅せつけてくる。きっとどんな道を選んでいても、隣の芝は青く見えていたんだろうなと思う。隣の芝はずっと青かったという告白、僕は皆が羨ましかった。

 
地球の臍「エアーズロック」への道